[書道] #16 奥の細道

[書道] #16 奥の細道

 今年のレバラン休みは特に何もやることがなかった。この機会にやってみるか、と、ふと思ったのが「えんぴつで奥の細道」(大迫閑歩書、ポプラ社、2006年)。

「えんぴつで奥の細道」

 「ひと文字、ひと文字、少しずつ、芭蕉のことばを書き写してみませんか。出会いと別れ、そして名句の数々。文字を丁寧になぞることであなた自身の旅が始まります」とは、表紙に書かれた魅力的な言葉。

 各章(第〇日目、場所、という分け方)に、手本として書かれた文章と解説があり、続いて、手本の字が薄く印刷されているページがある。それを鉛筆でなぞって自分で書いていく。この画期的なアイデアがヒットし、「えんぴつで枕草子」「えんぴつで源氏物語」「えんぴつで万葉集」など、「えんぴつで」シリーズが次々に出た。

 私はこれをジャカルタの紀伊國屋書店で買った。値段は21万9000ルピア(定価1400円)。当時としては、かなり高額だったものの、衝動買いした。自分の字の汚さへのコンプレックスが募ってきており、「あ、これは字の練習になるのではないか? 字がうまくなるのではないか?!」と思ってしまったのだ。「自分で書きながら、芭蕉の『奥の細道』を一字一句、味わって読めるのも一石二鳥」と。

 買って来た本を意気込んで開き、有名な「月日は百代の過客にして……」で始まる「第一日目 序章」を書いてみた。しかし、いくら「なぞるだけ」と言っても、手本はきれいになぞれない。思うように書けないことにイライラするばかり。この「序章」を書いただけで、終了してしまった。

「えんぴつで奥の細道」
「えんぴつで奥の細道」の中のページ

 書道を始めて少し経った今ではどうだろうか。少しはうまく書けるようになっているのではないだろうか。ちょっと「硬筆」というのをやってみよう。この休みの間に、一冊やってしまおう。

 そう意気込んで、ページを開く。「序章」に書かれた自分の下手な字を見るとうんざりするが、それには目をつぶり、「第二日目 旅立」から書き始める。しかし、「第一〇目 黒羽」で終わってしまった。

 理由の第一は、当然ながら筆と鉛筆とではまったく違う、ということ。鉛筆は紙の上を滑ってしまい、書道の基本である「ゆっくり」は書けない。もちろん、払い、止め的なものも無理。いっそのこと筆で書くか、と、細筆に墨をつけて書いてみたものの、字が小さすぎるわ、紙は半紙と違うわで、うまく書けなかった。

 理由の第二として、目黒先生の書く字に慣れてしまっているため、この手本の字がどうも好きになれない、というのがある。「鉛筆書き」という点を差し引いても、漢字のバランスやひらがなの形など、なぞりながら「どうも違う」と思ってしまう。

 第三に、「なぞる」というやり方は「素人でも書きやすい」と思われがちだが、「同じ様になぞれない」という自分への失望が増していく気がする。これなら、白紙で、手本を見ながら自由に書いた方が良い。

 こうして再び「えんぴつで」はやめてしまったものの、ここから脱線する。まず、「芭蕉の字はどんなだったんだろう」と、実家でもらってきた本「芭蕉自筆 奥の細道」(岩波書店、1997年)を開いてみた。芭蕉の字は、かなりの悪筆というか、くせ字というか……読めない! 

芭蕉の真筆、「奥の細道」の冒頭部分(「芭蕉自筆 奥の細道」より)
芭蕉の真筆、「奥の細道」の冒頭部分(「芭蕉自筆 奥の細道」より)

 本の後ろの解説「芭蕉の書き癖」(上野洋三)によると、「芭蕉は『生涯』の『涯』の字を一度あいまいに記憶してしまった」とある。「涯」以外にも、「誤字」や「不思議な字」がいくつもある。目黒先生には「自分流の崩し方はダメ」と言われるが、それ以前に、間違っているわけだ。

 推敲は、紙の上に紙を貼って書いている。パソコンで文章をいじるのとは違うのだ。本に載せられている原稿は、清書の上にさらに紙を貼って手直しているのだが、それ以前の「ドラフト」の段階では、どのようにして考え、内容を組み立て、筆と紙で書いていったのだろう。「月日は百代の過客にして……」の冒頭部分が一気に流れるように書かれているのを見ると、自筆、手書きの迫力を感じる。

「私の『奥の細道』」

 続いて、私の父が書いて自家装丁本にした「私の『奥の細道』」(2000年)を読んだ。「奥の細道」をたどった旅行記なのだが、面白くて、一気に読んでしまった。無駄のない、非常に読みやすい文章だ。ページのあちこちに、芭蕉の句に合わせて、「奥の細道」記念切手が貼ってある。小さい切手に描かれた、芭蕉の句の世界。写真代わりに切手を貼るという、この工夫はうまい。文章のうまさと編集の工夫にすっかり感心してしまった。

「私の『奥の細道』」
芭蕉の自筆「雲の峯幾つ崩れて月の山」(「芭蕉自筆 奥の細道」より)
最後の一行が、芭蕉の自筆「雲の峯幾つ崩て月の山」(「芭蕉自筆 奥の細道」より)

 目黒先生は「硬筆はやりません」と言う。鉛筆書きと、筆で書く書道が違うことはよくわかったので、とりあえずは筆で書く書道に専心する。ちなみに、書道をやっても、普段の字は一向にうまくならないです。