夏の歌 [書道] #9
- 2023.08.20
- ジャカルタ書道日記
「夏の雨きらりきらりと降りはじむ」(日野草城)
夏の明るさに満ちた、美しい歌だ。しかし、この手本、普通は読めないだろう。目黒先生は手本を書いた後、読めない字を一字ずつ別紙に書いて解説してくれる。「夏」「雨」「降」、えーっ、こうなるの?? あまり納得はできないのだが、納得するかどうかではなくて覚えないといけない。
「降りはじむ」の「は」は、「者」を当てる。「剣者心也」(剣は心なり)というように、主語を明示する「者」。その前の字、「利」を崩した「り」は、まるで、かなの「わ」のようだが、「『わ』は幅が広くて、短い。『り』は幅が狭く、長く引っ張る」と、両方の字を並べて解説してくれる。
このように、漢字の音だけを借りて、かなの代わりに使うのを「変体仮名」(へんたいがな)と言う。「『意味』はない。ただ、『音』を示しているもの。『者』は『は』の代わり」と先生。敢えて、変体仮名を使う意味とは?
「いろはに……の文字だけだと、造形的に同じ大きさで、同じ幅の字が並ぶ。変化があった方がいい、と平安人は考えた。例えば、『に』だと四角い形だが、『耳』(「じ」→「に」)と縦長の字を入れると、作品が変化に富む」
こうして、ひらがなの中に突然、例えば縦に思いっ切り引き延ばした「耳」など、漢字の草書が混じってくるわけだ。そして、ほぼ読めない。私は本当に覚えが悪く、毎回毎回、同じ漢字を教えてもらう。それでも、「連」は「れ」、「能」は「の」など、少しずつ覚えて読めるようになっていく。それまではナゾの文章だった一筆書き文字が「読める、読めるぞ!」となるのは楽しい。
「しばらくは瀧にこもるや夏のはじめ」(松尾芭蕉)
瀧の水音や冷気の感じられるような、芭蕉の句。ポイントは「夏」で、「夏」に強さがあるように書く。
かなは、たっぷり含んだ墨が黒々としている部分、逆に細くかすれた部分、と変化をつけ、墨の濃淡を作るのが重要だ。しかし、これが難しく、一本調子に黒くなってしまう。
先生によると、「このぐらいの墨を含ませて、こう書くと、このぐらいの場所でかすれる」と、計算できるそう。「かすれていいの。かすれることを怖がらないで。かすれてきても、ゆっくーーり書けば、墨は持つ。字は書けるから」と言われる。この「かすれてもいい」というのもまた、学校の書道では習わない価値観だろう。墨黒々と書き、「かすれは悪」という考え方が植え付けられていた。
やっているうちにだんだんと、「細い小筆を使い、最初からあまり墨をたっぷり付けずに書き始めれば、かすれる」とわかってきた。しかし、まだまだコントロールできない。
「夏の夜はまだ宵ながらあけぬるを くものいづこに月やどるらむ」
「なつ山になくほととぎずこころあらば ものおもふわれにこゑなきかせそ」
俳句をしばらくやってから、「字を増やしましょう」と、課題が古今和歌集になった。14文字増えた! 毎回、読めない文字の羅列。かなり辛い。
楷書であれば、手本と見比べながら、一画ずつ、ゆっくりと書けるが、かなは「連綿(れんめん)体」と言って、綿のように続く文字。手の動きを覚えてしまって、一息に書かないといけない。筆の使い方や、そもそも、手の使い方からして、よくわからない(右手は紙の上に置いて、下へ滑らせていくのか、紙から浮かせて書くのか??)。
ついつい「(間違えてしまう前に)早く終わらせよう」という意識が働くようで、さーっと早く書いてしまう。私の書いているところを見た先生から、「早く書きすぎている。紙からできるだけ早く、筆を離そうとしている。もっとゆっくり、ゆっくり」と注意された。
一見、それなりに書けているように見えても、ちょっとした違いで、その字になっていない。しかし、間違っていることも自分で気付いていないので、書いた清書全部が間違っている、ということになる。苦手な「かな」は課題を提出しなくなり、先生から「かなが行方不明、かなはどこへ行った?」と言われることが増えた(これは伏線です)。
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