インドネシア映画のお薦めは? 超個人的感想

インドネシア映画のお薦めは? 超個人的感想

Photocopier. Courtesy of Netflix © 2022

ついにNetflixに入ったところ、インドネシア映画が充実しているのに驚く。映画館へ行きそびれて見逃した新作も、旧作もある。インドネシア語の勉強を兼ねて見始めたところ、とても面白いのにもびっくりした。「映画評」など書ける立場ではないので、超個人的な感想です(見た直後の、素直な感想を書いています)。「見てみようかな」と思う人の参考になれば。特にお薦めは★を付けました。

  • 随時、追加していきます
  • ★もコメントも、個人的な見解です
  • 「ネタバレあり」は最初に記載していますので、注意
  • 日本語タイトルは原題から訳したものです(ほぼ直訳)。日本で公開された作品は邦題を採用している物もありますが(アルナとその好物)、あまりにも原題から離れているため採用しなかった物もあります(マルリナの明日)

ちなみに完走できなかった作品

  1. Hello Ghost
  2. Dilan 1990
  3. 13 Bom di Jakarta
  4. The Big 4

★映画のように恋に落ちて  Jatuh Cinta Seperti di Film-Film / Falling in Love Like in Movies

※一部ネタバレあり

 「映画作り」の楽しさと遊び心にあふれた作品。現実と映画を織り交ぜてのストーリー進行が巧みで、どれが現実なのか惑わされてしまうほど。現実は映画のようにはいかない、しかし……映画を良い意味で裏切っての現実への着地点が見事。「そうそう、これが現実だよね」と、にやり(ほっ)とさせられる。

 見終わって気付くのは「白黒」の威力だ。脚本家がプロデューサーにプレゼンテーションする中、「この映画は白黒でいきます」と言った途端にぱっと白黒画面に切り替わる。一気に引き込まれる。白黒とカラーで「映画」と「現実」を区別するというだけではなく、色のない分、シネマ世界を堪能できる。

 イントロでの脚本家とプロデューサーの掛け合いも面白いし、随所にちりばめられた小ネタに爆笑した。インドネシア人のホラー好き、人気のリリ・リザ監督も笑いのネタにしている。映画撮影の途中で俳優が突然帰ってしまうシーンにも大笑い(このネタは後でしっかり回収)。

 観客への強い信頼に裏打ちされた、こんな映画がインドネシアで作られるようになったか、と感慨深い。

花火 Kembang Api / Fireworks

※一部ネタバレあり

 花火を破裂させることで自殺しようと集まった4人の男女。緊迫した冒頭シーンから、花火が夜空に打ち上がり、多幸感あふれるエンディングへ。

 一人で閉塞しているうちは何も生まれないが、たとえ「死ぬため」であったとしても、他の人と集まると、新しいアイデアが生まれ、現実に新しい光が当たり(「あんたの花火すごいよ」とか「別の仕事探せばいいじゃん」とか)、新しい道が見えてくるというのが面白い。

 人生は打ち上げ花火。輝くためには、今を生きないといけない。映画に込められた明確なメッセージが心地良い。

シェリナの冒険 Petualangan Sherina / Sherina’s Adventure

 予想以上の面白さで、公開時に大ヒットしたのがわかる。一生懸命に歌うシェリナのかわいさと、意外だったサダムのキャラクター(学校ではガキ大将のいじめっ子、家では……)にやられた。タイトルロールで垣間見られるアナログな作り方も、改めて「良いなぁ」と感じる。

 公開当時は、この題名に「『シェリナの冒険』って、何が冒険だ」と思っていたのだが、これは確かに、十分な冒険だ。間抜けすぎる悪党に、ほっとする。

 「1」を見る前に映画館で「2」を見たのだが、ほぼ全てが「1」のオマージュになっていることがわかった。「2」のNetflix入りが待たれる。

映画館で見た「シェリナの冒険 2」
映画館で見た「シェリナの冒険 2」。成長したシェリナとサダムの新たな冒険

いつか今日の話をしよう Nanti Kita Cerita tentang Hari ini / One Day We’ll Talk About Today

 一見幸せそう、実は積もり積もったひずみが爆発しそうになっている家族の物語に引き込まれる。わが子の死を乗り越え「幸せにならないといけない」との強迫観念にとらわれた父、沈黙の母、一身に両親の愛情を受ける末っ子アワン、重責に壊れてしまう兄アンカサ、孤独な姉アウロラ。

 重すぎる家族の話なのだが、案外、映画としては重くないのは、俳優陣が良いからか。そして、「トラウマのある家族」の姿を描いているとはいえ、日本だと、もっと救いようのない話に簡単になってしまうので、インドネシアは温かいというか甘いというか。修復できる亀裂で良い。

★遠い道、帰るのを忘れないで  Jalan yang Jauh, Jangan Lupa Pulang / A Long Way to Come Home

※一部ネタバレあり

 「いつか今日の話をしよう」の続編。英国へ留学し、家族と離れてひとり奮闘するアウロラ。音信不通になったのを心配して探しに来た兄妹に語る言葉「私は帰りたくない。もう帰っている気がするから……私の望む家に」「私はここで失敗することを学んだ、立ち上がることを学んだ、受け入れることを学んだ、受け入れられることを学んだ」(di sini aku belajar gagal, belajar bangkit, belajar nerima, belajar diterima…)が、しみじみと胸にしみる。インドネシアに住む私の心を代弁してくれているようで。特に海外在住者、そして居場所を模索する全ての人の心に届く言葉ではないだろうか。

 血縁の家族や生まれ育った場所だけが「家」ではない。兄妹、何をしに英国へ来たのか。関係の近さから、いろいろ面倒になったり難しくなってしまう家族よりも、友人の方が助けになる場合もある。「帰らない」という選択をした、逆光で撮られたアウロラの美しいこと。

品行 Budi Pekerti / Andragogy

※ネタバレあり

 原題のインドネシア語の意味は「品性」や「品行」。英語のタイトルは「成人教育」という意味。

 一つの動画をきっかけに、面白がる人たちの便乗もあって燃え始め、主人公と家族の打つ手打つ手全てが裏目に出て、大炎上となる。過去の事柄まで掘り起こされ、人格否定され、最初は味方だった人たちも世間にならって態度を変える。SNS社会のインドネシアにいると「当然、こうなる」というのがわかりみすぎて、自分が追い詰められていくかのような辛さを感じる。それで救いなく終わるので「で?」と感じる。

 SNSでの誹謗中傷や偽情報の深刻さというのは、もう十分わかっているので、そこから先の出口が欲しい。同じ監督の前作「コピーする者」の結末は、思いがけないアナログな方式で覆してくれるので気持ち良かったのだが。しかし「自分ならどうするか」を含めて、妙に後を引く作品ではある。

 救いと言えば、問題の発端となる「プトゥ」はじめ、出て来る食べ物がどれも、やたらとおいしそう。たっぷりの油の中に落とされてじくじく言っている目玉焼き、炭火で焼かれるサテなど。それが最後のシーンにもつながっていく。

★コピーする者  Penyalin Cahaya / Photocopier

※一部ネタバレあり

 大学演劇部員の羽目を外したパーティーとなった日の夜に、一体何が起きたのか。仲間からは「あなたは泥酔したからオンラインタクシーに乗せて、そのまま帰宅した」と言われるが、まったく記憶がない上に、何かがおかしい。自分が泥酔したことも、服をいったん脱いだ形跡のあることも……。自分の身に起きた事実をひとり調べ始めるのが非常にスリリング。「一体、誰が怪しい?」と、一緒になってのめり込んでしまう。

 事実は明らかになったものの、真相は煙の中へと消える。そこへ、「そう来たか」と衝撃を与えるラスト。物理的でアナログなやり方の方が伝えるべき人に伝わる、効果がある、ということは確かにある。紙と光と影を扱う「フォトコピー」を舞台装置にしたタイトルも内容もテーマも見事。

Photocopier. Courtesy of Netflix © 2022
Photocopier. Courtesy of Netflix © 2022

殺人者マルリナの四幕 Marlina Si Pembunuh dalam Empat Babak / Marlina the Murderer in Four Acts

※ネタバレあり

 タイトルにもある「殺人」、そして生々しい「性暴力」といった事象を扱いながら、舞台となっているスンバ島の乾いた自然のように、淡々と、どちらかと言うとスローテンポで物語が進行する。その牧歌的なのどかさの中に、ドキドキさせる緊迫感と不穏さとが同居するという、不思議な作品。

 インドネシア映画好きの間で絶賛されているのは知っていたが、テーマの重さから、あまり見る気が起こらなかった。実際に見てみると、そのドライさが、不思議な味となっていて面白い。最後に若手の盗賊が殺される場面は、マンガのようで笑ってしまった。

 マルリナがスープに混ぜた実は何なのか、最後に一人残った盗賊がどうなったのか、気になっている。

プラハからの手紙 Surat dari Praha / Letters from Prague

 夢のように美しいチェコの街プラハ。しかし、「遠い道、帰るのを忘れないで」のアウロラのように、自分で選択して住んでいる外国ではなく、故国も恋人もなくし、故国を恋い焦がれ、恋人を思いながら外国で生きるのは、想像を絶する。返事が来ないままに送り続けた手紙。重いテーマを取り上げた意欲作で、物語に寄り添うグレン・フレドリーの音楽が美しい。

クレテック娘 Gadis Kretek / Cigarette Girl ※Netflixドラマ

※原作・映画ともにネタバレあり

GadisKretek. (L to R) Ario Bayu as Raja, Dian Sastrowardoyo as Dasiyah in GadisKretek. Cr. Courtesy of Netflix © 2023
GadisKretek. (L to R) Ario Bayu as Raja, Dian Sastrowardoyo as Dasiyah in GadisKretek. Cr. Courtesy of Netflix © 2023

 原作は途中までめっぽう面白い。文章からクレテック(丁字たばこ)の甘い香りと煙が立ち上って来るようだ。しかし、9.30事件の起きる前から展開が読めてしまい、結末も安易に感じる。そして、ジェン・ヤーの惚れるラヤの魅力がさっぱりわからない。それでも、ジェン・ヤーはラヤを殴ってすっきりしてからクレテック作りを続けるので、主体性と一貫性はある。

 ドラマの方は、受ける印象が原作とはまったく異なり、原作とは別物。原作にはない「ジェン・ヤーは女性であるために、自らのブランドを持つことが許されず……」といった基本の設定が「アジアにはびこる男尊女卑」といったステレオタイプに感じる上、原作以上にラヤのひどさに輪がかかっている。

 ドラマで良かったのは、美術、クバヤやバティックといった当時の衣装、そしてクレテック作りのシーン。タバコの葉を干したり、クレテックを手で巻いたり、秘密の「ソース」を作る場面は、原作を読んだ時にははっきりイメージできなかったので、「なるほど、こうやるのか」とわかった。

 そしてもう一つは、ドラマの結末。原作を読んで納得できずに、自分で考えた「理想の結末」に近い。原作では、ラヤの会社がジェン・ヤー側に賠償金を払ってめでたしめでたし、で終わるのだが、それだけでは手ぬるい。私の考えた結末は、ジェン・ヤーの娘がラヤの息子と恋に落ちて結婚し、最終的にはラヤの会社を乗っ取る、というもの。ドラマは図らずもこちらのプロットを示唆して終わる。

GadisKretek. (L to R) Arya Saloka as Lebas, Putri Marino as Arum in GadisKretek. Cr. Courtesy of Netflix © 2023
GadisKretek. (L to R) Arya Saloka as Lebas, Putri Marino as Arum in GadisKretek. Cr. Courtesy of Netflix © 2023

アルナとその好物 Aruna & Lidahnya / Aruna & Her Plate

※ネタバレあり
 
 「インドネシア・グルメ紀行」かと勝手に期待して見ると、全然違う!! 鳥フル、汚職、恋愛模様と、詰め込みすぎ、難しくしすぎではないか? 「食べることは生きること」という意味で、生死も人間関係も排泄も入れているのはわかるのだが。

 それから、個人的な意見になるが、出て来るインドネシア料理があまりおいしそうでない。これは、インドネシア料理をまったく知らない人が見て、「おいしそう」と思うものだろうか? おいしそうに食べる演技や味を説明するせりふも難しいものだぁ、と。

 映画に出て来る料理の中で食べたいなぁと思ったのは、実際に味を知っているシンカワンの焼きおにぎり「pengkang」(これは本当に絶品)、それからポンティアナックの餃子「choipan」。最後にナシゴレンを4人で囲むシーンは良かった。

棘のある霧 Kabut Berduri / Borderless Fog

 この映画の情報が流れた時から楽しみにしていて、公開後、ワクワクしながら張り切って見た。そして感想は……「わけがわからなかった」。「面白くない」わけではない。なんだか「わけがわからない」のだ。 

 話は変わるが、日本の友達が「面白い」と薦めてくれたデンマークとスウェーデンの合作ドラマ「The Bridge」では、両国をつなぐ橋の上、国境線をまたいで置かれた切断死体が見つかり、両国の警察が合同捜査に当たることになる。

 「棘のある霧」も、舞台はインドネシアとマレーシアが国境を接するカリマンタン島。そして、発端は切断死体。刑事も容疑者も国境を越えて両国を行き来し、インドネシアからマレーシアへの人身売買も事件に絡んでくる。軍、警察、華人、ダヤックなど、いろんな人が混在する国境独特の雰囲気と怪しさが連続殺人事件の謎を深め、土着のダヤック民族の民間信仰が混沌に輪をかける。

 カリマンタンならではの雄大な自然が、魅力的な背景となっている。密林、川、野生の蜂のはちみつ採り。そして、そこには鋭い棘を持つラタンが茂り、霧が包む。妖怪か殺人鬼か、何が出て来るのかわからない、という恐ろしさ。

 カリマンタン、ダヤック、国境、謎の連続殺人事件、ジャカルタから来た暗い過去を持つ女性刑事、といった道具立ては面白く、アイデア自体は成功していると言えるだろう。しかし、映画として成功しているかどうかは、クエスチョンマークだ。面白い要素がこれだけそろいまくっているのに「惜しい」と思う。

 ショートカットでボーイッシュな、主演のプトリ・マリノは格好いい。ニコラス・サプトラの役どころはナゾだった。

 あまりにもわからなかったので「もう一回見ようか」と思うものの、「もう一回見よう」という気にはならないのだった。しかしなぜか、この文章は書いてしまっているので、何か「残る」作品。

★ちょっと違う Agak Laen

 「夜の遊園地」は、なんだかわくわくしてしまう。フィリピン・マニラで行った、仮設「夜の遊園地」では、ピカピカの電飾を付けた安っぽい乗り物が動いていて、いろいろめちゃくちゃな遊びもあった。ハムスターがどこの数字の場所に入るかで賭ける「ハムスター・ルーレット」のほか、この映画に出て来るような「オカマちゃんにボールをぶつけて水に落とす」ゲーム、「人形じゃなくて本物の人がやるから怖いよ」と言われたお化け屋敷も。

 この映画は、そういう「何でもあり」の夜の遊園地のような楽しさだ。リノベしたお化け屋敷で、入った人が心臓発作で死んでしまい、それから起きる怪奇現象。本物のお化け(?)登場で、お化け屋敷が大繁盛する反面、事態は転げ落ちるように悪くなっていって、警察の手がどんどん伸びる。そのドキドキハラハラが笑いに加わって、忙しい。

 インドネシアのコメディーを見てゲラゲラ笑ったのはこれが初めてかもしれない。もちろん、ずっと笑いっぱなしということはなく、何カ所かで吹き出すという感じだが、思ったよりずっと面白かった。

 2024年2月に劇場公開され、インドネシア映画で歴代2位となる大ヒットを記録。そして、8月22日の国会前デモで、デモ隊がこの主題歌を歌ったことで注目を集めた。

 「あんたはちょっと違ってる、あんたのお父さんはちょっと違ってる、家族中がちょっと違ってる。
 あんたはちょっと違ってる、あんたのお母さんはちょっと違ってる、家族中がちょっと違ってる」

 この箇所が、法を曲げてでも自らの家族への特例を繰り出すジョコ・ウィドド大統領への痛烈な皮肉として使われた。約912万人が見た大ヒット映画の主題歌で多くの人が知っていること、シンプルで歌いやすいメロディー、歌って楽しいことなどで選ばれたと思われるが、選曲が秀逸。今後も「反ジョコウィ・ソング」として使われ続けるかもしれない。

https://id.wikipedia.org/wiki/Daftar_film_Indonesia_tahun_2024

https://www.cnnindonesia.com/hiburan/20240822120024-238-1136114/video-pedemo-nyanyi-agak-laen-di-depan-gedung-dpr

★男前の仕立屋 Tampan Tailor

 Netflixでいろんな映画やドラマをつまみ食いし、途中で見るのをやめている物も多く、最近、ちょっと疲れていた。これは2013年制作という昔の作品。インドネシア映画好きの横山裕一さんから「是非、見て」とお薦めされた。横山さんはDVDを入手し、何回も見ていると言う。ちらっとタイトルを見たことはあったが、「変なタイトルだなぁ。またリメイクか?」とスルーしていたのだ。見てみたところ、すっかり没入し、久しぶりに心を洗われた。

 光と影に彩られた、ミシンを動かしている冒頭シーン(クレジットタイトル)からして引き付けられる。美しい映像と音楽。「映画らしい」映画だ。「ちょっとやりすぎでは?」という所もあるのだが、単なる感動ものではない。物事は、そう簡単には行かない。「仕立屋だろうとダフ屋だろうとホームレスだろうと、どんな人の人生だって波瀾万丈である。山あり、谷あり。どん底にいても、上がる時は来る」という人生賛歌。

 主役のフィノ・G・バスティアンはタイトル通りに「男前」というだけでなく感情の機微を表す名演で、とても良いのだが、リンゴ・アグス・ラフマンが最高だ。リンゴは「Jomblo」の時から好きな俳優だ。なんだか、そこにいるだけでおかしい。人権活動家ムニールの顔写真に「TIDAK MATI」と書いたTシャツを着て登場するのだが、もうそれだけでおかしい(リンゴだから、おかしいのだ)。チャロ(ダフ屋)から、いきなりスタントマンをやってしまっているのもおかしくて笑える。

 映像で、昔のパサールスネン駅、長距離列車、チャロ、スディルマン通りのインティランド・タワー前の建設現場など、懐かしいジャカルタの風景がたくさん登場して来るのも楽しい。いろいろな意味で、しみじみする。映画に何を求めるか?だが、「ほかのことを忘れるぐらい没入できて、感動する。それだけでもいいんじゃない?」と思うのだ。

恋愛の建築 The Architecture of Love

※一部ネタバレあり

 映画館でロングランしていたようだが、インドネシア映画好きの横山裕一さんは「インドネシア映画倶楽部」で書いていないので、「あれ? どうして?」と聞くと「ニューヨークを舞台にしたラブストーリー。まぁ見なくてもいいかな、と思って」という答えだった。「ホラー以外はほぼ全作を見て、面白かったら書く」という横山さんにしては珍しい。Netflixで配信開始されたので見てみたところ、横山さんの直感は正しかったことを知る。

 わかりやすすぎる夫の浮気、わかりやすすぎる妻の交通事故死。心に深い傷を負った2人がニューヨークで出会って引かれ合う。あまりにも古典的なラブストーリーだ。キラキラしたニューヨーク・ライフは背景となっているだけで(紅葉や建物など、背景としてはとても美しいのだが)、「なぜわざわざニューヨーク?」「いまだに海外はただのバックグラウンドなの?」と、なんだかがっくりしてしまう。主演の2人が良くなかったのも残念だ。

 比較にもならないが、英国で自分の居場所を見付けようと奮闘する等身大の女性の姿を描いた「遠い道、帰るのを忘れないで  Jalan yang Jauh, Jangan Lupa Pulang / A Long Way to Come Home」推し。