ある日のレッスン [書道] #12
- 2023.09.03
- ジャカルタ書道日記
目黒先生のレッスンとは、どんな感じなのか、と言うと。最新のレッスンの様子を書いてみる。
2023年8月26日、土曜日。この日も、午前中はずっと「最後のあがき」の清書をし、ちょっとお昼休憩をしてから出発。午後2時前に、先生宅に到着した。久しぶりにお会いした先生、「何年ぶり?」とボケる。半年ぶりです。
家で書いた清書をまとめて提出する。まずは楷書だ。書家・田英章の本から手本を取ったもの。
先生「これはよく書けている。額に入れて飾りたいぐらい。直す所ない」
いやいやいや。先生は「朱を入れるのがもったいない」と言いながら、二重丸を書き、それを花に変えて「x3」にし、さらに蝶を2匹、ひらひらと飛ばしてくれた。そして再び、同じ田英章の本をめくって、まだやっていない書を選んで課題に書く。
次も楷書。李白の詩を見てもらう。七言絶句、28文字。これだけ字数が多いと難しい。紙の罫線を見ながら手本のように書いているつもりでも、字が大きくなったり小さくなったりするし、縦の行も揃わず、バラバラだ。
注意されたのは、「しんにょう」の、伸ばす所。真っ直ぐ引っ張ってから、最後に急に太くしようとするのではなく、もっと前から準備すること。もう一つは、「月」。最初の一画をあまり左へ払いすぎるとバランスが悪くなる。先生は、こうした点を注意しながらも、素早く、「ここのハネは素晴らしい」「この字はよく書けているよ」と、二重丸を打ってくれ、「ほめ殺し」は怠らない。
次の課題もまた、漢詩をやることになった。前回、調子に乗って李白の詩をリクエストしたせいで……。
先生「これ、杜牧(とぼく)の詩。有名な詩だよ」
そして、漢文をスラスラと読み下す。
「遠く寒山に上れば石径(せっけい)斜めなり。白雲生ずる所、人家あり。車をとどめてそぞろに愛す。楓林(ふうりん)の晩(くれ)、霜葉(そうよう)は二月の花より紅(くれない)なり」
先生の解説。「『寒山」は、高い山、寒々しい山ね。(登って)上から見ると、石の道がうねうねしている。なんと、こんな高い所に、人家があった。『車』っていうのは自動車じゃないよ。人に引かせて上がっていたんでしょう。もうかなり年配だったのかもしれないね。その車から降りて、じーっと眺めて、周りの風景を楽しんでいる。カエデの林があって、紅葉している。霜にまみれた葉が、二月の花より赤い」。
鮮烈な色彩の、なんとも美しい詩だ。学校での「古文・漢文」の授業は大嫌いだったが、今になって漢詩の美しさや良さを知れるとは……書道を始めて良かった、と思う。李白の「三月」の次は、杜牧の「二月」か。
楷書の次は、「かな」だ。提出した清書の数は少なく、課題1つに数枚のみ。午前中の「最後のあがき」の清書ができなかったので、以前に書いたものしかない。先生は全部並べて、眺めている。
先生「いいんだけど、問題は配置だね。行の下が外へ広がるようにではなく、内側へまとまるように書くと、見る人に安心感を与える」
かなの新しい課題は3つで、いつもの2つよりも増えた。「かなが嫌い」というのが見透かされている。
最初の歌。
わが心慰めかねつ更級(さらしな)や姨捨山に照る月を見て
先生「旅空で寂しい、という歌だね。なんとも陰惨な……」
これまでは恋の歌が多かったので、こんなどんより暗い歌もあるのか、と驚いた。あまり書きたいと思える歌でもないが、もちろん、「これは飛ばしましょう」とは言えない。
2つ目。
世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる
先生「こういう放ち書きはシンプルでほっとするね。『瀬』とは浅瀬という意味だけど、『勢』という字を使っているね」
3つ目。
梅が枝(え)にきゐるうぐひす春かけて鳴けどもいまだ雪はふりつゝ
先生「梅の枝によく来るウグイスが、春を待ちかねて鳴いている。『春かけて』の『かけて』は、待ち望んで、待ちかねて、先駆けて、という意味。あまり急いではダメ、という歌だね」
「かな」の手本として以前からずっとやっている、この古今和歌集。「かなが苦手」という以外に、こうした「なんだかよくわからない」歌もまた苦手なのだ(心の叫び)。
そして、先生自身も「え、これどう書くの?」と筆が止まるぐらいの難しい崩し方。辞書を調べたりして、「やっぱり、こうだな」「こんな勝手な崩し方をしてはダメ。書いた人は責任を持たないと」と言う。うーん、難しすぎる……。
最後に、これもまた一向にコツがつかめず苦手な、隷書だ。私が提出した課題、「どこから取ったっけ?」と、出典の本を探す。なにしろ、前回のレッスンが半年も前なので、二人ともうろ覚えどころか、記憶がない。
先生「劉炳森(りゅうへいしん )の『百家姓』(中国人の姓をずらずらと書いたもの)じゃない?」
私「いや、『百家姓』は少しやったけど、『これはもういいや』と、別の課題を始めた気がします」
先生「だけど、これは劉炳森の字だよ。こんな書き方は劉炳森しかない」
そして、先生の言う通り、劉炳森の「百家姓」だった。いったんやめてから、また再開したのだったか? 「劉炳森は、重々しい重量感が特徴。あなたの字で、劉炳森だ、ってわかったよ」と先生。
隷書は「一本の線の中に、変化がある」と言う。それが、できない。真っ直ぐに引っ張るのが精いっぱいで、線の味など出せない。まったく筆法が違う隷書はやはり、先生の書くのをその場で見るのが、非常に勉強になる。
「百家姓」の続きを紙一枚分、書き終えて、「お疲れ様でした」と、先生が自分に言う。隷書を書く時は、「とにかく、ゆっくり書かないといけない」。急がないこと、だそう。
間もなくジャカルタを発たれる先生に、もう一回、レッスンをお願いした。翌週土曜日は仕事があって行けないので、平日の夜に約束した。「次回は、先生がジャカルタに戻られてから」とは、しない。行ける時に行く。できるだけ行く。
この日のレッスンは3時間と、いつもより長くかかってしまった。外へ出たら午後5時。いつもの「散歩」はやめて、真っ直ぐ帰宅し、夕食後に早速、書道の練習を始める。楽しい!
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