雨おもしろく、晴れもまたよい [書道]#21

雨おもしろく、晴れもまたよい [書道]#21

目黒雅堂先生の命日を前にした2026年3月10日、ジャカルタ剣友会の元会長である濵田直樹さんの発案と尽力により、「目黒雅男先生追想集」が発行された。剣道と書道関係者の追想文などを集めたもので、私も書道関係の一人として寄稿した。これまで「ジャカルタ書道日記」で書いたことと重なる部分もあるのだが、改めて「目黒先生に教わった書道」について、まとめてみた。その追想文「目黒先生の書道が好きです」を、動画も追加し、こちらに転載する。

晴れ
ジャカルタの晴れと雨

 目黒雅堂先生と最初にお会いしたのは2000年代の初めのころに「目黒雅堂門下生書画展」の取材をした時ではなかったか。当時、じゃかるた新聞編集長だった草野靖夫さんの妻の康子さんをはじめ、私の近しい人たちがこぞって目黒先生から書道を習っていた。

 教室を取材して驚いたのは、皆の和気藹々として楽しそうな様子だった。笑いが絶えないのだ。私は「こんなに楽しそうな書道があるのか!」と驚き、「私も習ってみたい!」と思った。ただ、その時は平日の教室しかなかったので、習うのは無理だった。「いつか習えたら」と思い続けて、その夢が叶うのは2018年12月。

 書道教室はマンツーマン方式となっていた。アポを取り、中央ジャカルタの高級住宅地メンテンにある先生のご自宅を訪ねる。友達と一緒の時も、一人で訪ねることもあった。タクシー運転手に「トゥクウマール通り〇番地」と告げると、「メガワティ元大統領の家の辺りじゃないか」と驚かれたりもした。

 固く閉ざされた門を門番の男性が開けてくれる。わざわざ玄関の戸を開けてもらうのも申し訳ないので、裏へと通じる家の横を通り、書道教室の部屋に直接入る。ドアを「コンコン」とノックすると「はーい」と先生の大きな声。日曜礼拝にも使われている部屋のようで、「主の祈り」など、先生の書かれた書が壁に掛かっていた。

 正面が先生の席。どこででも書けるように、長いテーブル全体に赤い布が敷かれている。その長テーブルの前に机と椅子のセットがいくつか並んでいて、そこに荷物を置く。それから、先生の横の椅子に座って、家で書いてきた清書を提出して稽古が始まるのだ。

目黒先生の書道の稽古
書道の稽古。指導を受けているのは友人
筆を持つ先生の手
筆を持つ先生の手

 最近の課題は、かな、楷書、隷書の3種類というパターンが多かった。私の出した清書を前に並べて鋭い目で一瞥しながら「うん、よく書けてる」と、第一声。それから「もし直すとするなら……」「ここだけちょっと……」という、あまりにも遠慮深い断りを入れながら、朱液を小皿に出して筆に含ませ、朱を入れてくれた。

木偏がいばりすぎ。木偏を書く場合は、右に「バリ」を出さないこと。そうすると、右をゆったり書ける

「ち」「ら」が厳しすぎるね。かなを軟らかく見せるには、ずーっと力を抜いていって、改めてここで力を入れる

「冬華かく」の中心線がズレている

 こんな風に、とても細かくて丁寧な指導だ。直しながらも「これは素晴らしい」「よく書けてる」などと言いながら、いくつかの文字に素早く二重丸を打っていく。最後に「よくできました」マークの二重丸を描き、花びら、茎と葉を描き足して、あっという間に花にし、「x3」と描き加え、花の横にちょうちょを飛ばすことも忘れない。

二重丸の花
二重丸の花は、ほとんどすべての清書に書いてくれた

 最高の褒め言葉は「これは直す所がない。額に入れて飾りたいぐらい」。これまでに2点ぐらいしかないのだが、この言葉と共に「作品展のために取っておきましょう」と言って、二重丸の花も含めて朱を入れられなかった物がある(「ジャカルタ書道日記」の扉写真に使っている「いのちだに……」もその一つ)。作品展の話は結局実現せず、目黒先生の指導で自分の書を「作品」に仕上げる機会がなかったのは心残りとなっている。

 直しを入れながら先生がよく言われたのは「ゆった〜りと」「ゆっくり」「のびやかに」など。「(この字は)もっと縦に長く。目黒先生みたいにずんぐりむっくりじゃなくて」と言って笑わせることもあった。

 課題を見てもらった後で、次の課題に取りかかる。別の書道教室では手本はコピー、「先生が書く時に動画撮影は禁止」という所もあると聞く。目黒先生は必ず目の前で書いてみせてくれ、「動画を撮ってもいいですか?」と聞くと「いいですよ」と快く応じてくださった。

 先生の書いているところを見るのが好きだった。使い潰したような筆の先から、なんともいえない美しい線が生まれていく。ほれぼれとして見とれ、言葉もなかった。それも、普通におしゃべりをしながら、間違えないどころか、見事に書かれてしまうのだ。

 手本は、積まれている本や、先生がこれまで書いた書の中から選んで臨書する。例えば楷書なら王羲之「蘭亭序」、隷書は劉炳森「百家姓」、かなは「古今和歌集」などと決めてやり始めたら、基本的にはそれを続行する。

 習い初めて最初のころは「こういうのもやってみましょう」と、行書、草書、篆書、象形文字に至るまで、さらには絵付きの書や新年の挨拶の言葉など、いろいろやった。「え、また新しい書?」と腰が引けつつも、挑戦してみると楽しかった。学校の書道しか知らなかった私は、自分の知っていたのは「井戸」で、書は本当は「大海」だ、と知った。

 隷書に初めて取りかかる時には「隷書とはどうやって生まれたのか」という話、それから「行って戻る」基本の筆法、書き方や考え方、先生の師であり隷書の大家だった花田峰堂先生の話。漢詩が手本の場合は、詩をさらさらと読み下してから、情景の浮かぶような詳しい解説をしてくれる。かなは、手本とは別の紙に変体仮名を書き、どう崩されていったかを細かく教えてくれる。すぐ忘れる私を見透かしたかのように、毎回、同じ変体仮名を根気よく、繰り返し教えてくれた。

変体仮名の解説

 ただ単に「字がうまくなりたい」といった動機で書道を始める人は多いと思うが(私もその一人だったが)、当たり前のことながら、字には意味があり、書には歴史がある。そうしたことをまるきりすっ飛ばして「さぁ、きれいに書きましょう」というのは意味がなかった。目黒先生は筆の持ち方から始まり、書の歴史までを教えてくれ、それまで知らなかった世界が私の目の前にぐんぐん広がっていった。たくさんの美しい言葉と美しい書で、私の世界は広く、深く、豊かになった。

 目黒先生という師を失った今、「新しい書道の先生を探そう」という気になれないのは、初心者にこんなにさまざまな書をやらせてくれる教室はほぼないだろう、ということ。そして、目黒先生の字が好きだ、ということ。楷書もかなも隷書もすべて、目黒先生の字は美しい。

 人気のある現代書家の本の中に「拡大コピーしてお使いください」とある手本が「まねしたい」と思える字ではなかったりする。「鉛筆で手本をなぞる」硬筆の本も、手本に違和感を覚えてやめてしまった。これからは、大量に手元に残っている目黒先生の手本を使って「自主練」をしようと思う。ただ、褒めて、直してくださる先生はもういない。

 隷書がどうにも書けなくて筆について尋ねたところ、「こういう短いのがいいの。あげましょう」とご自分の筆をくださったり、「たくさん練習して」と紙をくださったり、厳しくも優しかった目黒先生。

 目黒先生が果たしてくれなかった約束は「判子」。いつも、「ここに印」という四角を手本の最後に書きながら「あれ、あなた、印、まだなかったっけ?」「まだです」「彫ってあげましょう」と数年間言い続けて終わった。

 書道を始める前には、私の立ち上げた月刊誌「さらさ」「南極星」のロゴ(題字)を書いてくださった。また、2021年にチレボンで逝去した賀集由美子さんのトリビュート展をその翌年に開催する時、書の提供をお願いしたところ、これまた快く、11点もの書画を出してくださった。どれも賀集さんを思い起こさせる作品ばかりで、胸いっぱいになった。

 目黒先生に言われて印象に残っている言葉は「時間は口を開けたら落ちて来るものじゃないよ。時間とは『作る』ものでしょう」「春に咲く花もある、夏に咲く花もある、秋に咲く花もある、冬に咲く花もある」。

 たくさんの課題をやったのだが、特に思い出される課題は「雨奇晴好」という4文字の書だ。目黒先生の父(目黒祥堂さん)の最後の書で、祥堂さんの机の上に残されていた物だという。

 「雨おもしろく、晴れもまた好(よ)い」

雨奇晴好
ジャカルタの空