[書道] #3 「凍れる音楽」、王羲之

[書道] #3 「凍れる音楽」、王羲之

 5回目のレッスンに課題を提出すると、目黒雅堂先生に「これは満点」と何回も言われた。「ほめ殺しの目黒」なのだ。

 「次から『蘭亭序』(らんていじょ)をやってみましょう」
 「えっ!」

 口には出さなかったものの、「まだ早いのでは? 普通に、これまで通り『四字熟語』とか『五字熟語』とかでいいんだけど……」というのが本音だった。

 書をやり始めて、その名を聞くようになった王羲之(おう・ぎし)。4世紀半ばの「書聖」といわれる人物。王羲之の最高傑作とされるのが「蘭亭序」だ。「永和九年歳在癸丑暮春之初會于會稽山陰……」で始まる。

 永和9(353)年3月3日、会稽山の麓の「蘭亭」で、曲水の宴が開かれた。庭園には川が引かれており、その両側に人が座って、詩を詠む。川を酒盃が流れて来るので、自分の前に来るまでに詩を詠み、できなかったら酒杯を飲み干すという、詩を作り酒を飲む遊び。

 その時に詠まれた詩集の序文として、王羲之の書いたのが「蘭亭序」。王羲之の書を愛した唐の太宗皇帝が、この「蘭亭序」も含めて自らの墓に副葬させたため、王羲之の真筆は残っていないという。このため、手本とするのは、王羲之の模写だ。

 目黒先生の解説する王羲之とは。

  • 世界の書道芸術の最初の草分け。書とはなんぞや? 書を芸術の高みにまで引き上げた人
  • 縦長、右上がりの、秀麗な字
  • 清潔感、品のある字
  • 点の打ち方、転折、ハネ、横ハネといった「永字八法」の基本を確立し、バランス的には完璧といえる形

 また別の時に言われたのは、王羲之の字は「凍れる音楽」である、と。

 こうして始まった、書聖の超有名な作品の臨書(まねて、同じように書くこと)。あまりにも初心者なので恐れ多い気はしたが、実際にやってみると、とても面白かった。

王羲之「蘭亭序」の始まり。「永和九年歳在癸丑暮春之初會于會」
王羲之「蘭亭序」の始まり。「永和九年歳在癸丑暮春之初會于會」が最初の課題だった

 1マスを9分割する赤い線の印刷された半紙を使う。縦5文字、3行。1枚に15文字が入る。先生が15文字の手本を書いてくれ、それを家で練習して清書する。次回には、次の15文字に進む。最初の課題は「永和九年歳在癸丑暮春之初會于會」だった。

 書いていると同じ字が何回も出て来たりする。苦手な「之」も頻出する。もちろん飛ばすわけではない。「あっ、また同じ文字」と言ったら、先生に「また書くんですよ」と言われた。

 マス目入りの紙は、中国の書道の授業で使われている半紙だという。起筆と終筆、つまり、どこから入ってどこで終わるか。手本を見て書く時に、それらや点・ハネの位置などを把握しやすい。白い紙に闇雲に書くより、はるかに書きやすい。書いた後も、手本とじっくり見比べて、どこがどう違っているのかを把握できる。従って、どんどん矯正していける。これは非常にやりやすくて合理的な方法で、日本の書道の授業でも導入すれば良いのに、と思った。大きいマス目、小さいマス目など、いろいろな半紙がある。

 「清書はどうすれば?」と聞くと、「この同じ紙で良い」とのこと。マス目入りの紙で清書、というのも変な気がしたが、清書とは言っても、もちろんまだ練習なので、これで十分だと言える。マス目入りの紙は先生が仕入れてくださるので、先生から買う。書いていると、あっという間になくなってしまう。このため、最初にマス目入りの紙で書いてみて、注意する点を把握してから、半紙を使って練習を繰り返す。その後、マス目入りの紙に清書を重ねる、というやり方にした。

 目黒先生の手本は、もうほれぼれするほどに美しい。しかし、書いてみると、やはり難しい。字の構成をじっくり観察する。頭ではわかっても、思ったように書けない。偏と旁、同じような組み合わせが嫌というほど出て来るのに、それぞれの字によって、それぞれ難しいのはなぜだろう。マス目があるにもかかわらず、手本とまったく違った字になるのはなぜだろう。

王羲之「蘭亭序」。手本(左)と清書。うーん、全然違う
王羲之「蘭亭序」。手本(左)と清書。うーん、全然違う

 私のペースでは、「蘭亭序」を全部終わるのに1年近くかかってしまった。これを書きながら、楷書の美しさと楽しさを知れたように思う。毎回、15文字、または30文字。次々に、先へ先へと進みながら、「いつまでもやっていたい。終わってしまうのが残念だ」と思った書だった。また改めて、書いてみたい。

王羲之「蘭亭序」