破門 [書道] #10

破門 [書道] #10

 書道を始めてすぐ、その楽しさにすっかり夢中になる。ひたすら練習していると、書けないなりにも「あっ、これ、まぁまぁじゃない?」という瞬間がある。字の形がだんだん意識されてくる。字を書くことがだんだん苦にならなくなり、いそいそと練習する。

 一字ずつ練習してから清書にかかるのだが、清書がまた難しい。例えば、かなの「りぬるをわかよた」という課題。「『り』はうまくいったけど、『ぬ』の丸める所を失敗した。あと、『た』の形がうまくいかなかった。もう1枚」「あっ、ここを失敗した、もう1枚」、「あと、ここだけ、うまくいかなかった。あと1枚だけ」……と、キリがなくなっていく。

 「一日数時間、書いている」と友達に言って、ぎょっとされたのだが、別に、「時間をつぶそう」と思って書いているわけではない。「早く清書しよう」と思って書いていて、それだけ時間が経ってしまうのだ。一日中、書いていたい気持ちだった。例えば無人島とか、隠居生活とか、どんな場所であっても、紙と筆と墨があれば、まったく退屈せずに過ごせるだろう、と思える。

 友達に「やりたいこと全部ができるわけじゃない。優先順位を決めなさい」と言われ、「えーっと、〇〇でしょ、書道でしょ……」と書道を二番目に挙げて、「はぁ? 書道の優先順位、なんでそんなに高いの? 書道で食べていくわけじゃないでしょ? 仕事になるわけじゃないでしょ?」と言われた。それには返す言葉もなく、どうしてこんなに書道をやっているのか、わからない。

 そんな「『書道楽しい』絶頂期」に来たのが、ねこのフレディだった。一人の生活が激変した。書道に集中できる時間はもうない。おまけに、仕事がだんだん忙しくなっていく。

 毎回、先生からは、楷書、かな、隷書など、課題がいくつも出される。しかし、とても全部はやり切れない。私は変に完璧主義で、「ざっと、適当にやる」というのが嫌なのだ。何回も練習してから、何回も清書をして、なんとか「できた」と思った一枚を出す。そういうやり方だと、「できた」までたどり着くのは、課題の一つか二つぐらい。

 楷書は「得意」というより「練習しやすい」ので好きだった。なので、楷書を先に始めて、練習と清書を繰り返し、それで時間切れ、となることが多くなった。課題が一つでも出来ていればいいだろう、という安易な気持ちで通っていた。先生からは「かなはどこ? 行方不明」と言われたりした。そして、ある日、がっつり怒られた。「もう来なくていい」と言われたのだ。「破門」だ。

 その日は相変わらず、楷書一つしか課題をやっていかなかった。そのレッスンの最後に。

 「いろいろ考えて、いろいろな課題を出している。それをやらないなら、あなたとは考え方が違うみたいだから、もう来なくて結構」
 「時間がない、とは言わせないよ
 「時間は、口を開けたら落ちて来るものじゃないよ。時間とは『作る』ものでしょう

 「あなたとは長い付き合いだから、書道をやめても、もちろん、付き合いはこのままで(にっこり)。帰って考えてみて、もしまた『やりたい』と思ったら、知らせてください」と言われたのだが、「帰って考える」までもなかった。心の底から「本当に申し訳ありませんでした」と謝り、「これからはちゃんとやりますので、続けさせてください」と懇願した。

 先生は「この場で決めず、いったんゆっくり考えてみた方がいいんじゃない?」と言いたげだったが、私はその場で結論を出して、押し切らせてもらった。次回のレッスンの時に、やっていなかった課題を全部やって提出し、「寝ずに書いたの?」と冗談を言われた。

 この一件については、深く深く反省している。

 まず、「どんなに好きであっても、書道は趣味だ」という考えがあった。つまり、仕事が忙しい場合、仕事が優先されるのは当然であり、書道ができないのは仕方ないだろう、という考え。しかし、「書道」は「道」が付くだけあって、ただの趣味ではない。かつ、教えてくださっている先生に、「書道は優先順位が低い」というあからさまな態度は失礼極まりなかった。

 もちろん、食べていくためには、書道ではなく仕事をしないといけない。しかし、いくら仕事の方を優先させたとしても、書道にまったく時間が取れない、ということは絶対にないのだ。だらだらしている時間は必ずある。また、時間配分も間違っていた。楷書の練習と清書に費やしていた時間を、他の課題に振り分けるべきだった。

 それと、先生とは長い付き合いである、という甘えがあった。しかし、付き合いの長さなど書道と何の関係もない。そうした私の態度、甘さやいい加減さをずっと観察されていたことには冷や汗が出る。私の子供のころからの悪い癖(変に完璧主義、ゼロか100か、時間管理のまずさ、なれ合ってしまうこと、いい加減さ、など)をぶった斬られた。

 この時に言われた言葉は今でも忘れたことがない。ギリギリの所で許されたことに感謝している。これから、第二フェーズだ。

 怒られた日はやや呆然としてたが、翌日に気を取り直し、たまっていた課題を終わらせるため、4時間ぐらい書道をした。結論としては、やっぱり書道は面白い。ずっと書いていたいほどに。

2019年12月14日、メンテン
中央ジャカルタ、先生の家の近く。書道が終わったら、いつもこの辺りを歩いてから帰る